バカとイキリと冷笑主義

どうも、Sibaです。約3週間ブログをほったらかしてすいません。

 

 

その間といえばブログのネタになりそうなものとか様々ありました。

 

 

寝ないで学校に行って約1週間腹を下してこれになったり

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ツイッターで腹が痛いと喚き散らして母に余計な心配をかけ、食欲減退のデバフをかけたり、

 

 

母の日のプレゼントとしてAmazonでこんなもの

https://www.amazon.co.jp/gp/product/B07NQ8JZBF/ref=ppx_yo_dt_b_asin_title_o03_s00?ie=UTF8&psc=1

 

を買ったのはいいものの、いつ届くのか日時を伝えず送り付け、しかも中国からの輸入品だったらしく、詐欺ではないかとさらに母親に心配をかけたりしてました。

 

 

 

 

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大変申し訳ありませんでした。

 

 

 

 

さて、今回のブログですが題名からわかる通り、それらをテーマにした記事ではございません。

 

今回の記事は私の一人の友人に対する説教であり、叱咤であり、激励として書かせていただく所存であります。

 

 

その友人は現在大学3回生であり私の一つ上でありますが、

 

ツイッターのバカを夜遅くまで監視したり、

 

おもしろくもない、役にもたたないソーシャルゲームに精を出しているようで、

 

大学の講義は1限ならまだしも2限を遅刻して行ったり、

 

講義に出ても話を聞いていないからさっぱりわからないから寝ているとか、

 

挙句の果てには「2限欠格になった」など

 

私からみても大学生としてどうなのか心配する程度のちゃらんぽらんだと言っても過言ではないでしょう。

 

 

私が何ゆえに彼をそんなに心配するのかというと高校三年の自分を見ているような気分になるからです。

 

 

 

 

 

なぜそう思うのかは私自身の高校生活を話すことで説明とします。

 

 

私の高校生活を語るにはまず中学3年の高校受験までさかのぼるべきでしょう。

 

私には高田という毎日のようにつるんでいた友人がおり、

 

そしてはたからみてもふざけた奴であり、変人でしたが

 

学業という面で見れば彼はかなり優秀であり、

 

上位10位以上にはかならず入っていて

 

私はそれに続くように上位10~20位程度にいました。

 

そして彼は私に、ある難関私立高校に入ろうと持ち掛けてきました。

 

私の地元において、この高校の特進コースに引っかかるかどうかは学力の指標といった扱いでした。

 

私は彼ならもちろんその高校の特進コースに余裕で入れると思ってましたが、

 

彼は自分と同じコースに入れと私に要求してきたのです。

 

しかし私はその時点では全くといっていいほど特進コースに届くような実力ではありませんでした。

 

私には当時志望校があるわけではありませんでしたし、

 

友達と同じ高校に行けるならそれがいいと思い勉強をし始め、

 

なんとかその特進コースに入ることができました。

 

ところが高田は県でトップ校と呼ばれる県立高校に行ってしまい、

 

若干裏切られたような気分ではありましたが

 

そのきっかけを与えてくれたという意味では感謝はしています。

 

 

 

そこから私は地獄の高校生活を送ることになります。

 

この高校の特進コースは先ほど述べた県立トップ校から落ちてきた人間の滑り止めであり、

 

大半がそういう人間で占められていました。

 

そのコースの生徒や先生らはそのトップ校に対してよくわからないライバル意識的なものを持っており、

 

「国立大学に入って見返してやれ!」

 

みたいな雰囲気で、

 

この高校に入るために勉強していた私はいきなり取り残されてしまった気分でした。

 

大学に進学するというビジョンは露ほども持っていなかったのです。

 

入ってすぐはテストがあっても赤点ギリギリでグズグズしてすごしていましたが

 

そうこうしてるうちに受験期がおとずれます。

 

皆受験に精を出す中で流行りだしたのが

 

友達同士で一問一答形式の問題を出し合うことでした。

 

私の親しい友達は僕と同じく日本史を選択していたため、

 

当然のようにそれが流行りだすわけです。

 

私は自分の不勉強さを露呈したくないがためにそれに混じろうとはしませんでしたし、

 

たまに混じることはあっても、友達にイキられ、

 

 むかつくと思うことはあっても、

 

それに反抗して勉強しようという反骨精神はありませんでした。

 

私はそこである意味、諦観に浸り、冷笑的になっていたのかもしれません。

 

 

 

また私は高校三年の長期休みかなにかで足利学校に行って、絵馬を書いたのですが

 

そこでも劣等感的なコンプレックスぶりを発揮し、

 

「学業成就」

 

とだけを書き、当時の第一志望であった「埼玉大学、合格」と書くことはとてもできませんでした。

 

当然そのような気概で私は国立大学に受かりませんでしたし、

 

今通っている大学一つにしか合格しませんでした。

 

 

 

 

そのような雰囲気が彼からはとてもよく感じるのです。

 

歳は私から一つ上で20歳ですが、

 

その若さに対し、正直さまざまなことに対し冷めすぎであると思うのです。

 

私はたまに自分がいましている勉強やツイッターで読んでいる本のことを語ったりすると

 

「柴崎イキっとんな~」とか煽られ、

 

内心むかついたり、腹が立ったり、

 

大学行ってねえ奴に言われたくねえ

 

とか思ったりしています。

 

 

また「いや俺にそういうことはできない」とか

 

そういう否定的な発言は彼からよく聞きます。

 

 

「鉄は熱いうちに打て」

 

とよく言われるフレーズはありますが、

 

彼は自分という鉄を叩かず、延ばさず、拡げず

 

ただただ冷えた水に突っ込み、冷えるのを待っている。

 

それをするのはいまではない。

 

私は立派ですばらしい日本刀になれと言っているわけではなく、

 

小ぶりな短刀、あるいはハサミでもいいのです。

 

自分になんらかの刺激、熱を加えて叩き、

 

若さという特権を用いて、さまざまな経験を重ねていくべきだと思うのです。

 

友達の一人は彼のこの態度に対し、

 

「彼は無知の知をよくわかってる、そういうところを見習いたい」

 

と言っていたのですが、私は全くそうは思いませんでした。

 

「引き際」を学ぶのは我々にとってはまだまだ先のことで

 

今は何かにとことん執着し、拘泥するべきであると思うのです。

 

 

また「イキり」というのは他人に対するアピールになると思っていて、

 

それを他人に知ってもらうという「緊張感」を得られるのだと思います。

 

もし自分がイキった後

 

「あれ、お前このまえそれ勉強してるって言ってなかったっけ?」

 

と言われないように。

 

 

 

 

そして私自身は最近、自分からみても成長を実感しています。

 

私は日課としてニュースや学術記事をなにかしら触れるようにしていて

 

そのことを深く調べたり、その記事の中から自分が興味を持ったものを抽出したり

 

やる気があればそれらを英語で読んだりと

 

やりたいことがとても多くなったことを成長して感じています。

 

 

これは余談ですが

 

私は足利学校の絵馬に「学業成就」と書いてよかったと今では思っています。

 

だからと言って志望校を書いて合格するとも思ってませんが、

 

そうしていなければ私は

 

その「先」を見た勉強を今でもできていなかったかもしれません。

 

 

 

 

 

 

さらに余談ですが

 

open.spotify.com

 

この曲は彼にぴったりの曲だと思います。

 

まだまだ私たちは何も得ておらず、始まったばかり。

 

諦観を持つのはまだまだ早いと思います。