天気の子ネタバレ感想Part2 ライ麦畑でつかまえて

 

天気の子ネタバレ感想Part2です。

 

前の記事が正直長くて書くのも疲れたんですけど

 

あれでもまだ書きたりないような気分なので、

 

今回も長くなるかもしれません。

 

 

 

Part2ではこの映画の序盤の

 

帆高がネカフェで寝泊まりしているあたりから、

 

K&Aプランニングで住み込みで働いてるあたりでも

 

ちょいちょい出ている本

 

J.Dサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて(原題:The Catcher in the rye)」に

 

視点を置いて感想を書こうと思います。

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帆高くんのライ麦畑でつかまえて

 

僕はひねくれた人間ですから、

 

1回目の観賞から細かい伏線的な要素に気が付いてやろうと躍起になって見てました。

 

そして僕が気が付いたのはこの「ライ麦畑でつかまえて」でした。

 

 

 

 

ライ麦畑でつかまえて」は青春小説の古典とも呼ばれる世界的に有名な小説です。

 

僕が高校2年生の時、この本で読書感想文を書いたので内容もだいたいわかります。

 

実家に置いてきてしまったので細かくは語れませんが、

 

主人公であるホールデン・コールフィールドの一人称視点で展開される小説で、

 

大人になり切れない青年の社会に対する鬱憤や葛藤を描いた物語です。

 

この小説が「天気の子」のストーリーの軸になっていると言っても過言ではないでしょう。

 

 

 

この小説の冒頭で、ホールデンは成績不良のために学校から退学処分を通告されます。

 

そのため世話になった教師に挨拶をしに行ったはいいものの

 

彼の不出来な答案を読み上げられてうんざりしたり、

 

寮のルームメイトの友人は、

 

少し前にホールデンが親しくしていた女の子であるジェーンとのデートから帰ってきたところで

 

そのことを理由にケンカをして殴られてしまいます。

 

そのことでへそをまげた彼は退学処分になる前にこの学校から出ていき、ニューヨークへ向かいます。

 

 

 

「天気の子」において帆高がなぜ島を飛び出してきたのか

 

細かく語られてはいませんが、小説版において

 

 

あの日、殴られた痛みを打ち消すように自転車のペダルをめちゃくちゃに漕いでいた。

 

 

と書かれているので、

 

家出の理由としてはやはり親との関係や島にいる現状に嫌気がさし、それを打開したかった、

 

そのあたりで考えるのが自然でしょう。

 

そこから伊豆の離島、神津島から東京に出ていくという展開は

 

まさにこの小説と一致します。

 

 

 

このようにストーリー構成も似ているのですが、

 

テーマもまたかなり類似したものとなっています。

 

物語終盤、帆高は銃刀法違反の容疑で警察に追われ、

 

陽菜と凪は未成年のみでの生活のため、児童相談所から目をつけれれてしまい

 

晴れ女としての仕事によって見つけることができた

 

いままでの幸せな生活を続けることが難しくなってしまう。

 

そのため彼らはその生き方を守るために社会に反抗するように大人たちから逃げ出します。

 

 

また、その大人たちや現代社会の象徴として登場するのは

 

安井刑事と高井刑事などの警察の人たち。

 

また陽菜の自己犠牲によって成り立っている天気の巫女としての役割を知らないにせよ

 

誰かの犠牲のおかげで生きているこの世の人々たち。

 

これは夏美に語り掛ける須賀のセリフ

 

「人柱1人で狂った天気が元に戻るんなら、俺は大歓迎だけどね。俺だけじゃない。

 

本当はお前だってそうだろ?ていうかみんなそうなんだよ。誰かが何かの犠牲になって

 

それで回っていくのが社会ってもんだ。損な役割を背負っちまう人間は、いつでも必ずいるんだよ。

 

普段は見えてないだけでさ。」

 

で示されています。

 

人々はそれを知っていながら、それは当然のことと認識し

 

また、それを考えたくないから知らないふりをして生きている。

 

しかし須賀と夏美は彼らのことを知っているため、複雑な気持ちを抱えることになります。

 

 

さらに彼らはそんな大人になり切れない部分を犠牲云々の話よりも前に持っています。

 

夏美は大学4年生でも就職活動に目を背け、大人や社会、義務などに息苦しさを感じていて、

 

須賀は自分と似た境遇の帆高を放っておくことができないでいる。

 

 

 

 

僕はこの映画を見るうえで一番感情移入しやすいのは帆高と陽菜ではなく

 

須賀と夏美だと思ってます。

 

それは帆高と陽菜の物語を見ていて、

 

犠牲の上に成り立っている社会に生きている僕たちに一番近しい登場人物だからです。

 

僕が言わんとすることは挿入歌である

 

RADWIMPSの「愛にできることはまだあるかい」でも歌われているのでよかったら聴いてください。

 


愛にできることはまだあるかい RADWIMPS MV

 

 

今回はここまでにしておきます。